先日、webで明石市の市長を長きに渡って勤めていた
泉さんのインタビュー記事を読みました。
個人的には中々考えさせられる内容でした。
かいつまんで話をすると、役所側からの視点では
市長は『市民の代表』であり『役所の代表』という感覚ではないのだそう。
市長は市民の投票によって選ばれるので、
時には役所の仕事を全く知らないままに市長になる事もあり得るもの。
なので、役所側はそれまで続けて来た事業等を説明したり
急転換をされない様に振る舞うのだとか。
市長側も現況の確認をせずに自身の想いだけを伝える様な事はしたくないので、
役所の仕事を歴任してきた人に副市長になってもらって
互いの調整役を担ってもらう、というのが通例なんだそうです。
泉さんはその類ではなかったんでしょうが、
副市長や役所の人間がこぞって市長に釘を刺すので
市長になった人は結局何も思い通りにはさせてくれないのだとか。
自分の思いを押し通そうとすると、
簡単に言うと1対多数の喧嘩になってしまうので
殆どの人が尻込みしてしまうんだそう。
こういうジレンマがある訳ですね。
泉さんの功罪については割愛しますが、
選挙で選ばれるトップの人材と、その下でずっと働いて来た人たちの
それぞれの葛藤は想像出来ます。
当事者ではないだけに「なるほど~」と思いながら読みましたが、
自分がその渦中にいたら複雑な思いになるでしょうね。
ちょっと立場を変えて、市長を国会議員に、役所を官僚に置き換えて
話をイメージ出来る事でもあるかな、と思いました。
国会議員は国民の選挙によって選ばれる人材ですが、
特に大臣職に就く人の下にはたくさんの官僚がいる訳で。
大臣はその仕事をずっとして来た訳ではない、言わば素人。
だから、大臣が答弁をする時には官僚が作成した資料を
読み上げるのが精一杯なんだ、と考えると腑に落ちるというか。
今の制度からするとこれが限界なんでしょうが、
その道のプロと言えない人がトップに立つという構図は
色々な意味で不都合は多そうですよね。
勿論、都合が良い事もあるとは思いますが。
実務を行っているのが官僚だから、当時の与党で官僚と敵対した
民主党の行った事が良かったのか?という点は非常に悩ましい、と。
実務が回らなくなると困る、という意味では敵対関係を作るのは良くないでしょう。
しかし、官僚の言いなりになったら今の状況な訳で。
昔の話として田中角栄のエピソードを聞いた事がありますが、
本当の意味でお互いに目指すポイントを見つけるには
相当な労力を注ぎ込まなければならないんだろうと思いますね。
少なくとも、今の与党が官僚をコントロールしている節は見えないですし、
官僚に施策を任せている間に、自分たちは小遣い稼ぎで派閥のパーティーを
行っているのかな、と。
昨今のパーティー問題は深く切り込むと長くなるので止めますが、
こうやってリンクして考えると繋がっていくんだろうか?
と想像しています。
自身が辣腕を振るった上で責任を取るタイプであれば
こういった話は単なる功罪として評価すれば良いと思いますが、
和を重視する日本人ならではの特徴が
良くも悪くも垣間見える話だな、と思いました。
自分も独立独歩のタイプではないので
色々考えさせられますね