究め道

色々感じた事を書くブログです

肉体と精神を分けて考える

最近ネットの記事を幾つか読んでいると

LGBTqの方々のスポーツに関する記事を目にする様になりました。

自分の身の回りにそれに該当する方がいないので

(知らないだけなのかもしれませんが)

当事者として考える事が簡単ではないのですが

個人的な見解を載せたいと思います。

 

各スポーツにおいて男女が分けて開催されているのには

ちゃんとした理由があります。

男性の方が生物学的に肉体の筋肉量が多くなるので、

そこから生み出されるパワー・スピードが女性とは圧倒的に異なります。

その為、男性と女性でカテゴリーを分けてスポーツを行うのは当たり前なのです。

もし男性と女性が区別なくスポーツを開催したら

多くのジャンルにおいて男性がトップを獲るのは容易に想像出来ますよね。

ただ、それは女性が劣っているという話ではなく

生物学の話なので致し方ない部分な訳で。

だからこそ、区別は必要でしょう。

 

一方、マイノリティではありますが、

LGBTqの方々は自身の肉体と精神的な性別が異なる為、

生きていく上で幾つもの壁が他の人よりも多い事は事実でしょう。

彼ら彼女らの生き方自体を否定する事は決してしてはいけませんが

マイノリティ故に虐げられてきた歴史がある訳で。

人としての理解とリスペクトはあって然るべき事だと思います。

 

今問題になっているのは、そういった方々が権利の主張を声高に行っている

という事なのかな、と思っています。

心は女性だと主張する肉体が男性の人物が

女性のスポーツ大会で優勝し物議を醸しているそうですが、

上記の通り男性と女性には歴然とした差があり

ここは生物学的にしっかりと定めておくべき事ではないかな?とは思います。

心がどちらであっても、生物学として肉体が男性・女性である事が

大会出場の条件としてキチンと明記される必要があると思いますね。

(両性の方もいるので、その場合は男性にカテゴリーして良いと個人的に思います)

今迄これが定められなかった要因の1つとして

訴訟問題になった場合に大会側が敗訴する可能性を危惧して

エントリーを許可してきた、というのも合わせて読みましたが

大会ルールとして明記する事と、スポーツの本質をしっかりと理解していれば

そういったリスクは抑えられるんじゃないかな?と。

LGBTqの方々が可哀想じゃないか、という意見もあるかもしれませんが

それを言うなら新しいカテゴリーとしてLGBTqの方々専用の大会を

用意するのがベターなのではないかな、と思います。

運営費等色々な問題が出て来ると思いますが

スポーツの本質を考えれば妥当な落としどころではないかな、と思います。

パラリンピックの様な障碍者専用の大会があるのと同様の考えですね。

 

日本でも、役所に勤めるLGBTqの方が女性トイレを使用する権利を起訴し

合意性が認められる判決が先日出ましたね。

その人にとっては良かった話かもしれません。

しかし、同じ場所に勤めている周囲の女性が納得しているかどうかは

また別の話かと。

トイレもそうですし、この判決によって公衆浴場はどうなのか?

というのも気になる点だと思います。

共にデリケートな話なのは重々承知していますが、

少数の方の意見を強引に通したが故に多くの人が悩まされる

というのは果たしてどうなんだろう?と思う訳です。

話は少し違うかもしれませんが、女性トイレに長蛇の列が出来ている時に

臆面もなく男性トイレに駆け込む女性が居る、という話を聞いた事がありますが

自分がその場面に遭遇したら言葉を失うくらいに驚きますし

これが許されるなら、逆に女性トイレに男性が入るのはOKなのか?

という解釈にも繋がりますよね。

それがLGBTqという見た目では判断がつきかねる人なら

余計に話がややこしくなる事くらいは想像出来る訳で。

そういった人に対応すべく誰でもトイレ(多機能トイレ)の設置が進んでいますが

それを悪用した問題があったのも記憶に残っている人は多いでしょう。

 

生きていれば誰もが思い通りにはいかない事くらいはわかると思います。

特にLGBTqの方々の苦労は、知り得ない事の方が多いです。

しかし、理解とリスペクトは誰に対しても必要ですが

状況によって区別すべきところはあると個人的には思います。

過剰に権利を主張するのではなく、自分がどういう状況なのかを

理解した上で適切な行動を取る事は

生活する上では当たり前の事かと。

人間は1人では生きていけないからこそ

許容出来る部分とそうでない部分をしっかりと考えておく必要があると思いますね