究め道

色々感じた事を書くブログです

父の日を過ぎて

昨日は父の日でしたね。

今朝のニュースで観ましたが、大谷の活躍の話と合わせて

アメリカでの父の日の事について触れていました。

昨日は、自分の父親へのプレゼントは事前に渡してお祝いしていたので

妻のお義父さんへの労いの意味を兼ねてお義母さんと4人で

お昼を外食して来ました。

自分は初めて行ったお店でしたが、美味しかったですし

偶にはこういう場所で食べるのも良いよね、なんて話をしながら

みんなで帰宅しました。

 

さて、父の日が行われる前にニュースやラジオでよく言われていましたが

確かになぁと思わされるのが「母の日との格差」という話。

自分が子供の頃は、母の日に学校が体育祭を設定していて

そのタイミングで母親にカーネーションを渡す、というのが定番でした。

その為、自分の記憶にはしっかりと母の日の印象は残っています。

一方、父の日はそういう公のイベントにはなっておらず、

自分たちでお祝いをする、という感じでした。

両方ともお祝いをする日である事は認識していたものの、

同級生と一斉にお祝いをするイベントと家族のみで行うイベントでは

やはり違うものだという気持ちにはなりましたね。

尚、母の日は毎年外食し、その時に長男の自分が父が予約した花を

花屋から受け取ってお店に居る母に渡す、というのが我が家のスタイルだったので

母の日は2回お祝いしている感じでした。

 

ラジオやニュースでも格差についてはかなり言われていて

父親側の気持ちとしては寂しい、という回答が目立ったり

街に居る子供世代の人たちの回答の中には「忘れていた」と答える人も。

父親ってそういうものだよね、と言われればそれまでですが

感謝の気持ちを伝えてくれたら嬉しい、という気持ちは理解出来ますね。

 

近年言われる様になった性別による差別ですが、

社会での立場は女性が弱い、と声高に言われる事が増える一方で

ダメなおじさん(父親等を含む)をディスるのはOKという

所謂ダブルスタンダード的な考えを不満に思う人が出て来ている様に感じます。

男性・女性というカテゴリーをなくして

一人の人間としてフラットに評価して欲しいという気持ちは理解出来ますし

自分もそうならなければ、という思いはあります。

ただ、そう考えれば考えるほどある時突然柔軟性を失って

「これって当たり前でしょ?」という回答が出てしまう危険性もある訳で。

俺はいいんだ、私は特別、という感情は恐らく誰にでもあるものだと思いますが

それが押さえつけようとすればするほど

どこかのタイミングで爆発しちゃうんですよね。

上のダブルスタンダードも恐らくそういうものだと個人的には思っています。

 

大切な事って許容する事かな、と。

自分には関係ない、と不干渉になるのではなく

そういう人もいる、そういう考えもある、と一旦キャッチ出来る

心構えを常に持つ事が大事なのかな、と思いますね。

以前にも載せたと思いますが、相手へのリスペクトがないといけない話なので

つまるところ、そういう事なのかなぁと思います。

 

自分の両親も妻の両親も、過去に大病はしましたが

今のところは健康に毎日を過ごしています。

不満に思うところが全くない訳ではありませんが、

少しでも健康に長生きをしてもらいたいですし

父の日は感謝を示す絶好のタイミング。

敬意を示しながら、自分の言動にも気を付けていきたいなぁ

と気持ちを改めていきたいと思います