究め道

色々感じた事を書くブログです

侵攻から1年

ロシアがウクライナ侵攻をはじめて1年になります。

日本にとって両国が遠い国と感じるか近い国と考えるかは

人によって異なると思いますが

現在43歳の自分にとって戦争の怖さを本当に考えるものにはなりました。

この年齢になる迄、戦争と名の付くものは他にもありました。

湾岸戦争やイランイラク戦争ほか

紛争も含めると世界中ではそんなに珍しいものではないのかもしれません。

子供の頃に異国の地で起きている戦争については

言葉としては知っているものの、それがどういうものかはわからず。

中学生の時の修学旅行で沖縄に行った際に、防空壕に行ったり

戦争の語り部の方から戦争の残酷さを教えて貰った事はありましたが

それを自身に置き換えて考えるところに迄は至りませんでした。

勿論当時の感情としては怖いとか嫌だという気持ちはありましたが、

戦争によって失われていくものがどういうものなのか?

というのをリアルに感じたり考えることまではしなかったですね。

というか、わからなかった、という方が正しいかもしれません。

毎日を安全な場所で暮らし、食事や勉学の環境が周囲の人たちによって

確保されている中で戦争の事を正しく認識するのは難しいでしょう。

今でも、自分が戦争の怖さを正確に語る自信はないですしね。

そういう意味で言うなら、今の子供たちもこのウクライナ情勢を通じて

どれだけ戦争が残念な事なのかを理解するのは難しいかもしれません。

 

戦争を何故するのか?を考えると、両国を含めた過去の歴史を

しっかり認識しなければならないでしょう。

ウクライナが自国を守るのは当然としても、

ロシアに言い分があるから戦争が開始された訳で。

(ロシアを擁護する訳ではなく、ロシアが戦争という選択を取った経緯を

知る必要はあると思っています)

例え話ですが、喧嘩をした際に当人同士が途中で止める事はないと思うので

三者が仲裁して喧嘩を止めさせるのが最初に浮かぶ発想だと思います。

このケースだと第三者が誰?どの国?と考えると難しいですが、

ロシアの高官が「戦争を終結するのに、自国の敗北はない」と言っています。

理由があって自ら始めたものを中途半端に済ませるつもりがないのは

当たり前だと思いますし、

識者の方々が「プーチンの命が尽きるか、侵攻の意思がなくなるまで

戦争は続くだろう」という見解を示すのも当然かと。

それくらいは何も知らない第三国のいち国民でもすぐにわかる話です。

だからこそ仲裁をする人物や国が出て来ないと

この一連の流れが終結に向かう事は難しいでしょう。

とはいえ、ロシアは元々独自路線を築いて来た国なので

仲裁が出来るパイプが簡単にはないのも事実。

各国の首脳が色々な行動を起こしていますが、

まずは戦争の終結に向けて働きかけてもらいたいと思います。

 

日本は陸続きの他国がないので、そういう意味では

他国とは感覚や発想が異なるのかな、と個人的には思っています。

平和ボケと揶揄される事もありますが、

その平和を維持する為に影で頑張っている人たちがいるから

今の自分たちの生活が送れている訳で。

こういうものを自分たちの身に置き換えて考える事は大事だと思いますし、

その為に自身が何をすべきかの優先順位について

考える事も必要かもしれませんね。

日々の生活で精一杯という人も多いのはわかっていますし

自分もそんなに余裕があるとは思っていませんが

この日々を守る事が出来ない人が世界のどこかに存在している事を

忘れてはいけないとは思います