究め道

色々感じた事を書くブログです

50年後の未来

沖縄県が日本に返還されて50年が経つという事で

式典等が行われているというのをニュースで目にしました。

沖縄では米軍基地に関する問題がよく取り上げられると思いますが、

50年前に沖縄が日本になった時に、

沖縄の人たちは本土の人たちに何を求めていたんだろうか

とふと考える事があります。

 

以前の話ですが、沖縄には少しだけですが無関係ではなかった事や

学生時代に修学旅行で行った際に戦争体験者の語り部の方に

当時の話を聞く事があったので

沖縄県のニュースを目にすると気になっていました。

とはいえ、自分が何か出来るという訳ではありませんし

無関心にならないという程度にしか出来なかった訳です。

しっかり調べたりする事がないので、

基本的にはテレビのニュースが情報源になる程度。

沖縄の人が何に困っていたり悩んでいたりというのは

ある意味想像する事しか出来なかったです。

 

現在のウクライナ情勢から考えると、やはり他国の侵攻というのは怖いもの。

自国で部隊を持たない日本からすると

アメリカを含めた協力がないと自国を守る事は出来ない訳ですが

今回の一件で他国もまた自分たちを守る事が精一杯で

日本を守ってくれる確実な保証はないんじゃないか、とも感じました。

ウクライナが独立する際に、核兵器を廃棄する替わりに主権を保障する

ブタペスト覚書を結んだにも拘らず、現在この状況ですからね)

もし他国が侵攻する事を考えた場合、沖縄は前線になる可能性は否定出来ず

その時に日本はどう対応するんだろうか?と思う訳です。

米軍基地があるのは一定の抑止効果がある部分があるのは否めませんが、

過剰な期待も出来ないのは前述の通り。

本当の意味での自衛を日本人全体で考える時が来ているのかもしれません。

 

別の視点から見ると、沖縄は長年アメリカの支配下にあった訳ですが、

日本に返還されてから沖縄の方々の生活は変わったんだろうか?と思うと

それも劇的に変化したとは考えにくいですね。

アメリカの恩恵を受けていた部分もあるかもしれませんが、

負担となっていた部分もまた大きな変化があったとは思えず

それもまた沖縄県民の本土の人たちに対する

わだかまりの1つになっている事でしょう。

現地の人たちは観光客を歓迎してくれる温かい心も持っていますが

一方で不安な気持ちを抱えているのも事実でしょう。

本当に融和される日が来るのかどうかというのは不透明だと言わざるを得ません。

 

基地負担の一点だけで是非を考えるのはあまり得策ではないと

個人的には思っています。

沖縄を含む色々な場所にそれぞれの歴史があり、

それが相まって今に繋がっているので

その部分を理解しなければどちらの答えを出しても

一方的な押し付けになってしまうでしょう。

今朝の出勤時のラジオで、リスナーである教員の方が投稿していましたが

「沖縄の歴史を1時間の授業で済ませるのは無理だ」という話。

学生が歴史を勉強する上で、カリキュラムを逸脱せずに沖縄の歴史を

しっかりと学ぶのは不可能だというのを暗に示した投稿だったのですが

本当にその通りだと思います。

長い歴史を少ない時間で網羅する事は極めて困難ですし、

だからこそ日本人の殆どが沖縄に対して関心が薄くなってしまうのかな、と。

その話には自分も反省しなければと思うと同時に非常に納得しましたね。

 

今回は沖縄の話として挙げていますが

全ての事柄に対して同じことが言えると思います。

大切なのは関心を向ける事。

日本人は割と無関心になりやすい傾向にあると思いますが

それが一番マズい事なのかもしれません。

諸外国で明らかにおかしな事があると国民が立ち上がって

行動している映像を目にしますが、

近年の日本でその様な事は起きてないですよね。

有事ではないとも取れますが、本当に何かあった時に大丈夫か?とも思うのです。

学生運動の様な異様さを求めている訳ではありませんが、

日本人が日本の事を本当に考えて行動していく事が

当たり前に出来なければいけないんじゃないかなと

今回の事から派生して思います。

 

沖縄の方々が50年前にどの様な未来を描いていたかはわかりませんが、

我々が50年後に「日本って良いよね」って胸を張っていられる様に

色々考えていかなければいけませんね