究め道

色々感じた事を書くブログです

モノの使い方

通勤時にラジオを聴いているのですが、今日は8月9日。

1945年、長崎に原爆が投下された日として

日本では広島と並んで追悼式典等が行われる機会が多い日です。

終戦して77年が経つので、所謂戦争体験者の話を聞く事は

かなり難しくなる程月日が流れたという事です。

自分が中学生の時、修学旅行先で戦争体験者の話を聞いた事がありましたが、

今にして思うと非常に貴重な体験だったと思います。

ラジオで言っていましたが、今の若者たちは戦争体験者の話を

次世代に伝えるには「聞いた話を伝える」ことしか出来ず

リアルな体験ではないのが伝承を難しくさせるだろう、ということです。

確かに、体験者とそれを聞いた人の話、というのは

実体験と想像の話なのでリアリティに伝える事は本当に難しくなるでしょう。

戦争や核爆弾の無常さは避けられるならば避けたいもの。

次世代にどの様に伝えていくか、というのが課題になるでしょう。

 

核というものは、兵器として使うと甚大な被害を及ぼす事は

日本を中心に世界中で知られている事です。

そうであるが故に、世界中の核保有国がお互いに使用しない様に

条約を結んだりして牽制している実態がある訳ですが、

一方で使用の仕方によっては電力を安定供給出来る供給源になる訳で

一昔前まではクリーンエネルギーの最も有効な手段でした。

東日本大震災によって核の危険性が再確認されると共に

世界中でも天災等に対する有効策が見出せない事から

自然エネルギーへのシフトに舵を切る国が増えて来たのは事実ですが、

そうした事がもし起こらないと仮定したら

核エネルギーは今でも世界の中心にいた事でしょう。

核をコントロール出来る、というのはある意味人間のエゴでしたが

戦争の兵器ではなく、生活を豊かにする為の方法として

核を活用するという発想は間違っている、と言い切れなかったと思います。

 

昔、漫画で果物ナイフを持った主人公が、

人に向けたら危険だけど、果物を剥くには適切なもので

モノには正しい使い方があるんだよ、という趣旨の言葉を

相手に伝えるシーンがありました。

初めてそれを見た時には自分が若かったので例え話の1つだと思って読んでいましたが

年齢を重ねるにつれてその言葉の凄みを理解出来る様になりました。

モノだけでなく人の考え方・物事の捉え方でも同様で

一方向から見ると危険な事でも、他方から見るとそれが是である事がある訳で。

勉強で100%正解の答えがあるものではない事柄っていろんなところにあるし、

だからこそ色々な人の気持ちや考えを知る事が大切なんだ

と思う様になりました。

 

昨今のウクライナ情勢によって日本の防衛力について議論がされますが、

保有国が、いくら条約を結んで兵器としての使用を禁止しても

いざとなったら使用してしまう危険性は確実にある事が知れ渡ったと思います。

また、ウクライナに侵攻しているのでロシアが非難されていますが、

過去のロシア(旧ソ連)の歴史を知ると、プーチン大統領をはじめ

ロシアの一部の人達が侵攻を支持している理由を知る事も出来ます。

時代によってそれぞれ思想やトレンドがあるので、

現在の正解が10年後も同様か?と問われるとそうではない物事は存在します。

だからこそ、日々勉強して自己を研鑽する必要があるんですよね。

周りの考えに乗り遅れる事がない様に、

またその中で自身の考えをしっかりと保てる様に。

そんな事を考えさせられる時期なのかもしれません