究め道

色々感じた事を書くブログです

事故から思う

韓国の梨泰院で先週末に群衆の事故が起きましたね。

亡くなった方の数が多いのでとても痛ましい事故に思えますが、

過去に日本でも花火大会の時に少数ながら同様の事故が起きた事もあり

日本でも対岸の火事と思わずにいなければ、と思った人も

いたのではないでしょうか。

時期がハロウィンだった事もあり、コロナ禍でイベントが相次いで

中止になっていたので、久しぶりに楽しめるイベントだと

盛り上がってしまった側面もあるでしょう。

いずれにせよ、渋谷のスクランブル交差点を中心に警戒心が

高まったのは言うまでもありません。

テレビの取材で若者が「高校生の時に良い思い出がなかったので」と

答えている人がいたのは、同情の気持ちもありますが

とはいえ気を付けてもらいたいものだ、と思いましたね。

 

事故の検証として、1㎡内に14~15人居たのでは?と言われていました。

番組スタッフの検証では、10人になるとその範囲から押し出されてしまう程の

密集具合で、別の検証では2㎡に28人を詰め込むと

検証後に体調不良を訴える人が複数出た、という話もありました。

それが一瞬ではなくずっと続いていた事を考えると

今回の事故もある意味納得というか、起こるべくして起きてしまった

ものだったのかな、と思いました。

 

全く別の番組で東南アジア系の国の電車に溢れる程の人が乗っている映像が流れ

見ていた人たちが驚いていましたが、

程度は違えど日本でも数年前まで乗車率200%超えの電車が毎日走っていましたし

鉄道会社の努力とコロナ禍によって乗車率はかなり緩和されましたが

ひと昔前まで日本でも密集地帯というのはそこまで珍しいものでは

無かった様に感じます。

事実、自分が学生時代にクラスメイトが電車に乗ると

混雑で具合が悪くなる人はいましたし、

密集によって圧迫されると肋骨や横隔膜などの呼吸に関する部位が

正常に機能出来ずに呼吸困難に陥るらしいので、

日本で今迄あまり声高に問題視されていなかったのも

またちょっと不思議な話だなぁと思いました。

日本人は真面目なので、仕事などの為に無理をする傾向はありますが

それを当たり前だと思っていた当時の自分の感覚が

おかしかったのかな、とも思いますね。

 

人間は、というべきなのか、日本人は、というべきなのかはわかりませんが

誰かが事故だったり病気になった時に「自分は大丈夫だろう」と

思いこむフシがある気がします。

そうやって自己防衛を図っていると言われればそうかもしれませんが

教訓というのはとても大事なものだと思いますね。

日本が震災によって原発にダメージを負いましたが、

海外の国で原発に頼らないエネルギー開発に着手する国もあれば

自国では同様の事故は起きないとタカをくくる国もあったり、

当の日本でも原発を含むエネルギーバランスをどう取るのかは

先行きが明確になっている、とは言い難いですね。

勿論コロナ禍というイレギュラーな事態は起こりましたが、

決して棚上げにして良い問題ではないと個人的には思います。

現時点でエネルギーの安定化に原発が必要なのは理解出来ますし、

その様に舵を切っているのもわかりますが、

10年20年先も同様で良いとは思わないので

国民にも青写真は見せて欲しいな、とは思います。

SDGsの話題でプラスチックゴミの話が出ますが、

一人一人の行動でゴミの削減等は出来ますが、

エネルギー捻出の話は国の政策だと思うので

他力本願の様にも聞こえるかもしれませんが、役割を果たして欲しいですね。

 

話を本筋に戻しますが、事故を教訓にするのはとても大事な事。

それによって未然に防ぐ事が可能になるからです。

自分も仕事上ハインリッヒの法則など安全に関する事を勉強していますが

慣れてしまうと安全はとても軽視されがちなものなんです。

仕事が赤字になるのはいけませんが、コスト削減で安全を疎かにした事で

起こった事故は日本でも数え切れない程起きています。

だからこそ安全とは何なのか?という事には定期的に考えてもらいたいですし

その為に努力している人も大勢いるので

その恩恵を知らず知らずのうちに受けている事を感じてもらいたいな

と個人的には思います。

 

今年のハロウィンで大きな事件・事故が起きなかったのは

警察やメディアがしっかりと周知したからだと思いますし、

それ以外の場所でも至る所で人は恩恵を受けているもの。

なので、他社に対するリスペクトの気持ちを常に持って

接する様に心掛けたいものです