究め道

色々感じた事を書くブログです

アスリートの行き先

羽生結弦がプロの転向と競技会への出場を今後は見送る

という旨を記者会見で発表しましたね。

テレビで放映されるフィギュアスケートは大半がアマチュアの競技会。

つまり、今後の彼のフィギュアをする姿はテレビではほぼ観られなくなる

という事で、報道側は一斉に「引退」という文字を使いました。

当の本人は「『引退』という言葉は使いたくない」と発言しており、

いちプレイヤーとして競技を続けるつもりだけど

競技している姿をテレビで観せる事はない事は本人も理解しているので

その様な言い方になったんだと思います。

プレイヤーであり続ける事は言っていても

"第一線でなければ引退"というのは複雑な表現だと思いますね。

 

何も知らない人からすると、芸能人でもアスリートでも

テレビに映らなくなると「あの人出なくなったね」なんて言われちゃいますよね。

でも、羽生もそうですが、プロ野球選手でも解雇された先で

社会人野球チームに所属しても扱いとしては「引退」とほぼ同義。

その先で、彼らはプレイヤーでもあり技術の伝承もして

企業から給与をもらっていても、ですよね。

羽生もプロに転向する事でアイスショーや講演等で

今まで以上に稼ぐ事が想像出来ますが、それでも引退と言われてしまう。

アスリートとして競技を辞める時には本当に引退となるのでしょうが、

そうではないので"引退"という言葉を使いたくなかった

という羽生の心情が良く表れている会見だった様に感じました。

 

彼の功績については今更触れる必要もない程輝かしいものですが、

アスリートもいつかは競技者ではいられなくなるのは現実としてある訳で。

華々しい時代があればある程、その立場を失った時の虚無感は

一般人には計り知れないものでしょう。

ストイックに戦って来た場所から離れる気持ちは慮る事も出来ないですが、

だからこそ近年言われるのはセカンドキャリアという話。

多様性という言葉が最近よく使われますが、

アスリートであった人にしか出来ない仕事や身の振り方があると思うので

そんな時こそ色々な道筋があって欲しいな、と思います。

 

以前ここで載せたかどうか定かではありませんが、

自分がアマチュア野球の指導をしていた時の事ですが、

そのリーグの講演に阪長さんという方がいらっしゃいました。

阪長さんは、野球の普及の為に世界中を飛び回っている人なんですが、

海外の文化から日本の野球との違いを理解した上で、

日本のアマチュア野球における構造的な問題を解決しようと

色々な提言を行っています。

その1つがリーグ戦の開催です。

日本のアマチュア野球の殆どはトーナメント制ですが、

トーナメントによって磨かれる技術がある一方で

勝利至上主義が蔓延り、選手が使い倒されてしまったり

ずっと試合に出られない選手が出てしまいます。

それらを解消しようというのがリーグ戦の導入。

一発勝負ではない場所で様々な経験を選手たちにしてもらいたい、というもので

少しずつではありますがこの考えに賛同するチームが増えて来ています。

この構想を初めて聞いた時には驚きと無謀なチャレンジに見えたので

何も言えずにただ聞くのみでしたが

現在の日本で普及しはじめているのを見ると、時代が追い付いて来た感じで

ただただ感嘆するのみです。

阪長さん自身はプロには進まなかったものの、

マチュア野球で活躍した実績を基にしてその活動をしていたので

非常に説得力もあり、さして年齢の変わらない自分とは

明らかに違う歩みを見せている姿に尊敬の念を抱かずにはいられません。

 

話を戻しますが、羽生をはじめトップアスリートならではの活動というのは

絶対的にあると思っています。

羽生を神輿にして様々な活動をこれからしていくのだと思いますが、

彼をサポートしたり運営にかかわる人たちに悪意がなければ

これからの活動は本当に楽しみです。

それによって色々な人が仕事を得たり、豊かな気持ちになれる訳で

それはトップアスリートだったという看板があるからこそ。

勿論、本人のキャラクターというのも忘れてはいけないところですね。

少し前に引退した斎藤佑樹もそうですが、

アスリートとして酸いも甘いも味わって来た人たちが

色々な形でこれからも活躍していく姿が見られるかもしれないのだとしたら

やっぱりそれって良いことですよね。

競技とは違った苦難はあるかもしれませんが、

自分は熱烈なファンではないだけに少し離れた場所から

見守っていきたいと思います。

頑張ってもらいたいですね