究め道

色々感じた事を書くブログです

誹謗中傷という見えない傷

オリンピックが始まって1週間以上が経過しましたが、

日本人選手の活躍が連日報道されていますね。

コロナ禍でなければ、もっと気持ち良く応援出来るところですが

こればかりは状況を恨む訳にもいかず。

兎も角、今の状況下で日本人だけでなく各選手がベストを尽くせる様に

気を配りながら過ごして欲しいところですね。

 

さて、最近インターネットの記事で良く目にするのが

優勝を含むメダル獲得者に対してのSNS等を通じた誹謗中傷が

かなりクローズアップされていますね。

昔からこの類の話はよく耳にしていましたが、

現在のコロナ禍においては更にその激しさが増している様です。

SNSという匿名性が攻撃性に輪をかけている様な感じで

このコロナ禍で苦しい思いをしている人たちが

そのストレスをぶつけているかの様。

分析として「正義でやっている人がいる」という人がいますが

その暴走を止められる術がないのが現状でしょう。

 

演劇をやっている弟の言葉として気になったのが

「今の子たちはセルフプロデュースが上手い」と。

演劇やスポーツで共通するのは、超有名な人以外は

活動に専念出来るだけの給与を受け取っていないのが現実です。

なので、自身の活動を知ってもらうことや

それをアピールする事でファンを獲得したり、すそ野を広げたり

それが最終的に自身の活動に専念出来る環境を生み出せる様に

SNS等を活用するのは最早当たり前なのだ、という事です。

SNSなんかやらないで競技に集中すれば良いのに、という声がありますが

こういった現実がある為に、その反論は現実的ではないのです。

そして、そういうアピール上手な部分がないと生き残れない事を

若い子たちは知っていて、だからこそ誹謗中傷の部分も含めて見てしまうのです。

現実的な問題として、こういうものに対応するには

ブロックする等の対処方法しか取れず

そもそも目にしない、というのは難しい、という事です。

 

政治家などはある種公人なので批判も受け入れなければなりませんが、

有名選手はスポーツが出来る一般人であり、

有名税という批判もまた違うのではないか、と個人的には思います。

今回の様な謂れのない事柄で批判されるのは論外として、

有名選手が不倫等の不祥事を起こして叩かれるのを見ますが、

不倫が悪い事というのは当たり前ですが、

それを関係のない外野がワイワイ騒ぎ立てるのは如何なものか、と。

誰しもが聖人君子ではない訳ですし、線引きは難しいのかもしれませんが、

それを言葉の暴力として投げつけるのは間違っているのではないかと思いますね。

 

また、北京大会でミスを連発し、その後の人生をも狂わせてしまった

GG佐藤は昨今の誹謗中傷に対してこの様にコメントしています。

「誹謗中傷は、相手を傷付けるだけでなく自身の心も擦り減って貧しくしてしまう。

心が貧しくなったら人生の豊かさ、余裕もなくなり、周りに人も居なくなってしまう。

そんな人生悲しいじゃないですか」と。

相手を傷付ける言葉は、最終的に自分に還って来るのだから止めましょう

と暗に示している訳ですが、

ある意味経験者程の重い発言は他者には言えないでしょう。

 

この言葉が「自身の正義」というフィルターによって見えなくなっている人たちに

どれだけ届く事があるのでしょうか。

卓球の水谷が「そんな言葉は1ミリも響かない」と強気に発言していますが

そんな心持ちで日々を過ごせる人間はごく僅か。

だからこそ、GG佐藤の言葉を思い出しながら

文句を言うのは身内だけに留めて、相手に届かない様に

配慮してあげるのもある種の「マナー」ではないかな、と思います。

 

何かを変えたいと思うならまず自分から、と言いますが

今回の出来事を踏まえて自身の身の振り方も思い直しながら

過ごしていけたらと思います