究め道

色々感じた事を書くブログです

ルールを犯すこと

今日もまた新型コロナウイルスに関して思う事を書きたいと思います。

世界中で対応・対策が打たれている新型コロナウイルスですが、

世界各国の動きに対して日本は動きが鈍い様に思います。

基本的にお願いや要請をする形で強制力が無い事が

現時点ではあまり好転している様に感じないのは

恐らく自分だけではないでしょう。

 

世界中で類を見ない状況である事は全ての人が理解している事。

なので、過去の失敗事例やそこから何をすべきなのかを

考える必要があると思うのですが、

例えば台湾ではSARSが流行した時に、

行政の壁によって流行を防ぎ切れなかった事例を反省し、

法改正をした事で今回の新型コロナウイルスの対応策を迅速に打てた

というのは各報道からもうかがい知れるところです。

アメリカやイギリスでは、今回の新型コロナウイルス

初期対応の不備があった事もありましたが、

トップダウンで軌道修正を図ると共に

成功・失敗を恐れずに次々に策を打ち続けている印象があります。

 

一方日本では今回の事も含めてルールを順守する事が前提で

その枠組みの中でしか行動が出来ない、という事がある事と

過去の失敗事例の検証や改善策が打たれる事もなく

ただ時が過ぎるのを待っている、というのが個人的な印象です。

一例を挙げると、東日本大震災が起きた際に原発事故が起き、

原子力発電についての議論がなされたと思いますが、

結果的に原発を処分する事もなく、かといって再稼働するにあたっても

地域を含めた住民・国民への説明は決して充分とは言えず。

パリ協定によってCO2削減を達成すると当時の首相が発言したものが

活きている以上、電力確保をする上でどう運用するか、

またそのリスクマネジメントをキチッと詰める必要があると思うのですが

それを主導する立場にある国や政府からは何のアクションもなく

これでは国民が不安に思うのは当たり前な訳で。

今回の新型コロナウイルスに関しても、封じ込める為に必要な策を

適切に打てているのか?と言われると

返ってくる答えの1つとして、「法律に限界がある」という

言葉が返ってきます。

有事なのだから、ルールを犯してでもやらなければならない事柄はある訳で、

それを犯した後の処罰を恐れて誰も動けなくなっているのでは?

と考えてしまいますね。

 

大阪府の吉村知事が「政治家は消耗品で良い」という発言をしていました。

真意はわかりませんが、しがみついてやる職業ではなく

時が来たら辞めなければならないもの、という風に個人的には解釈しています。

今の政治家にその覚悟を持った人がどれだけいるのか?

政治屋になっているのではないか、と問いたくなりますね。

 

極端な例かもしれませんが、青信号の横断歩道を渡っていた時に

信号無視の車が突っ込ん来たら、100%車が悪いのは言うまでもありませんが

結果それによって亡くなってしまったら、

その本人はルールを守ったのに損害を被った訳で。

あの人が悪くて自分は悪くないから元に戻してくれ、

なんて言っても戻れないですよね。

だからこそルールをしっかりと理解した上で

ルールを守らない人がいるケースも想定して

自分の身を守る為に常に行動する必要がある。

そして、自分の身を守る事を最優先する為に

ルールを犯す事も場合によっては必要である、

という事も理解しなければならないと思います。

 

常にルール違反して良い、という話ではありません。

ただ、どのケースにおいても例外というものは存在して

今回の新型コロナウイルスに関してはまさにその「例外」にあたる

事例なのではないか、というのが個人的な意見です。

 

オリンピックについての報道が連日されていますが、

開催される自国民の生命維持が重視されていないのではないか?

という事が国民の不満を買っている訳で。

オリンピックをやりたいなら、日本国民全員がワクチン接種を済ませないと

今の不満が解消される事はないでしょうし、それが出来ないのなら

「オリンピックを開催した結果、感染が爆発したら私が全責任を負います。

私を裁判で集団訴訟してください」という人でも出て来ないと

怒りの矛先は収まらないだろうと思います。

そんな気概のある人物がいるとも思えませんし、

そんな人がいたらもっと円滑に物事が進んでいるとも思いますけどね…