究め道

色々感じた事を書くブログです

過去の自分から考えられる現在

最近、芸能人の自殺がセンセーショナルに報道され、世間を賑わせていますね。

新型コロナウイルスの影響、と一括りにされそうではありますが、

自分なりの考えというか考察をしてみます。

 

芸能人は、わかりやすく売れる為にはテレビを含めた

メディア進出が必要不可欠でしょう。

近年ではyoutubeなどのコンテンツもありますが、

共通するのは注目度の高さと収入が比例する事でしょう。

しかし、注目度が高まると当然ながらアンチと呼ばれる

批判者も出て来るのは世の中の常です。

そうなると、揚げ足を取られない様に批判をされない様な

模範的な生活を本人の意思に限らず強いられる事になります。

SNSなどが発達する現代において、愛想を振りまかなければ叩かれる時代。

息を抜ける時間や場所はかなり限られる事でしょう。

 

売れるという事は多忙であると言っても良いでしょう。

たくさんのスケジュールをこなし、わずかな休暇で息抜きをする。

それが今までの芸能人のスタイルだったと思いますが、

そこに現れたのが新型コロナウイルス

これによって、旅行や外食の機会が著しく制限され、

友人と会食をする事もままならなくなりました。

言ってみれば、わずかな息抜きをも奪われる形となった訳です。

勿論、それについては多くの一般人も同様ではありますが。

 

忙しく働き、僅かな休暇でバランスを保っていた人が

新型コロナウイルスによって急に仕事が奪われ、

何もするなと言われるとどうなるのかと言うと

自分との向き合いに時間を作る事が出来てしまう訳です。

忙しさが故に考えなくて良かった事を考える様になる。

自分の生き方は本当にこれで良いのか?

自分が仕事をしていなくても、世の中は動いている。

自分がやってきた事は、果たして意味があったのか?

いなくても良いのではないか?

と考えてしまうのではないでしょうか?

 

僕自身がうつ病で休養を余儀なくされた時、

最初は何も考える事が出来ず、ただただ呆然と休んでいました。

すると、体力や気分はやや回復していくのですが、

正常になっていくと、次に襲ってくるのが虚無感なんです。

会社を少しでも良くする為にあんなに必死に仕事をしていたのに、

自分がいなくても会社はちゃんと運営されているじゃないか。

俺は一体何を守ろうとしていたのか?と。

すると、悲しさが襲ってきて、考える力が戻って来ただけに

余計に悪い方向へ考えてしまうのです。

 

これはうつ病特有の負のスパイラルの思考ですが、

勿論、自殺した芸能人の方々がみんなうつ病だとは思っていません。

しかし、こういった思考を持つ人は一定数いて、

そこから自力で抜け出す事は非常に難しいのです。

僕は自立支援の施設に通い、認知行動療法という思考方法を学びました。

負のスパイラルから脱出する1つの方法です。

その他にもアプローチする方法はあるのかもしれませんが、

誰にも負の感情というものが存在する限り

病気でなくても誰もが成り得る思考でもあるのです。

また、これは自分に対する自問自答の様なものなので、

他人に助けを求めようとする思考にならない、というのもあります。

周りの人が「悩んでいる様に見えなかった」という言葉をよく聞きますが

本人からの発信はしないどころか、

相手に悟られまいと普通を装ってしまったりもするのです。

メディアで相談ダイヤルによるものを呼びかけていますが、

そういったところを使える人は、そもそもこういった発想には

あまりならずに済むので、ヘルプを出せる時点で最悪の事態は

ある意味脱出出来ているのです。

難しい言い方かもしれませんが、そういった異変に気付けるのは

極近しい人間が常に観察している場合だけ、

と言っても良いかもしれませんね。

 

勿論、芸能人が自殺する事で一般人が後追いするケースもあり得るので

2次被害は避けなければなりませんが、

根本的な解決というのは非常に難しい話なので、

こういった思考に陥る前に、ストレスなどを発散出来る環境作りや

交友関係を構築していく事が予防的な観点で必要な事だと個人的には思います。

自分の事は自分が一番よくわかっている、という言葉がありますが、

自分の事を客観視して異常な状態だと気付ける人は

実はあまりいません。

だからこそ、人を頼る事も必要ですし、

それがなかなか叶わない世の中ではありますが、

新型コロナウイルスは「自分がかからない、人に移さない」という様に

まずは自分を守ること。

それが他人を助ける事にも後々繋がるので

自分を守る為にそういった環境作りをしても良い時期に

来ている様な気がします