究め道

色々感じた事を書くブログです

数字か、感性か

近年野球界を席巻するセイバーメトリクスというもの。

過去のデータに基づき、打者のボールが飛ぶ方向だったり

状況に応じた戦術がどれだけ得点に繋がっているのかだったり

色々なものを数値化した考えがアメリカを発祥として

今現在日本でだいぶ定着してきた様に感じます。

様々な職種の仕事でも同じですが、情報を集めてデータ化し

それを基に最適解を求める事が世の中でも浸透してきた証拠なのかもしれません。

 

そのセイバーメトリクスにおいて耳にしたことがあるのですが、

個人的に懐疑的な目で見てしまう情報が

バント不要論と盗塁は無駄、という2つ。

自分が古いタイプの人間だからかもしれませんが、

この2つに対しては異論を唱えたくなってしまいますね。

 

セイバー的には、「バントをする事=アウトを1つ増やす行為」であり

例えランナーを進めたとしても

統計的にそれが得点に繋がる確率が高くない事から

バントは不要である、という結論だそうです。

盗塁は基本的にギャンブル的要素が強く、

成功の確率とその後の得点との因果関係を総合的に判断すると

盗塁しない方が良い、という結果だとか。

 

ここからは自分の持論というか考えですが、

盗塁は、アメリカにおいては盗塁時にキャッチャーが送球しないものについては

記録としてカウントされていません。

ここが日本とはまず違う点で、実際には進塁の成功率は微増かもしれませんが

示されている数値よりは高い事は間違いありません。

また、近年では違うかもしれませんが、

基本的に「キャッチャーは壁」という認識が強く、

守備面での実力評価に疑問符が付くのです。

そして、ピッチャーとバッターの勝負にフォーカスされるアメリカにおいて

ランナーが盗塁するケースなどが軽んじられているのもあるのではないでしょうか。

逆に日本では、学生野球の頃からピッチャーは盗塁に

常に神経を費やす様に指導されている事や、

それをいかにかいくぐって進塁するかを追求する事もして来ました。

それが1点の攻防の中で欠かせない戦略だと思っているからです。

確率や統計上、打ち崩す事が難しいケースでも

工夫次第で点を獲る術を学んできたのです。

 

それを端的に表す事例を挙げるとすれば、

第3回WBCの2次予選、vs台湾のシーンです。

1点ビハインドの9回2死で鳥谷が盗塁を成功させました。

それが井端の同点打を引き出し、延長10回での勝ち越し、

そして勝利に繋がった決定的なシーンなのは、

野球ファンなら語る必要もないくらいの事例でしょう。

台湾からの視点で考えれば、格上の相手に8回に勝ち越しをして

勝利が目前に迫って心中穏やかではないところ。

早くゲームセットになって欲しいと思っていたでしょう。

あの盗塁によって、プレーヤーだけでなく台湾ベンチ内も

もしくは球場内の空気ですら変えてしまったあの1プレー。

動揺してしまったのは明らかでした。

勿論、それを同点に繋げた井端がいなければ語られる事はないものですが、

統計の結果だから、と盗塁する事を選択肢に入れなかったら

あの試合は日本が勝利するのは難しかったでしょう。

また、裏話として台湾の抑えピッチャーのモーションが大きく盗みやすい事も

データとしてチーム内で共有されていた事も明かされています。

的確な情報の元、戦況を読んだ上での「盗塁」という選択。

それを議論しないで一概に語るのはナンセンスでしょう。

 

バントについても同様。

高校野球タイブレーク制が導入され、

1点を獲る為のバントの是非が注目されていますが、

これも時と場合によって必要な時もあれば不要な時もあるもの。

ただ、バントが不要だと練習をしなくなれば、

必要になった時に「バント」という戦略の選択肢が1つ減る訳で、

守る側からすれば、考えが簡略化されるものほど守りやすいものはありません。

あらゆる想定をしながら守る事が難しいのであって、

その想定される範囲が狭まれば、守る方も楽なのです。

戦略の選択肢や引き出しが多いからこそ物事を有利に運ぶ事が出来る、という

勝負事においての鉄則がそもそも同じ基準で語られているのか?

という点を忘れてはいけないと思いますね。

 

平等・対等であるというのは理想的な事ですが、

生まれた瞬間から裕福か貧乏かに差があるように、

実際には完全な平等というものは存在しません。

だからこそ文句が言いたくなったりする事もあるでしょうが、

逆に工夫が生まれる瞬間でもあるのです。

野球も同様で、試合開始直後と9回では、同じ同点であっても

継投や残りの野手の数、プレーしている体力の消耗度、

相手と自軍の力量の差などで戦い方が違うのは当たり前です。

その上で最善策や最適解が瞬間的に弾き出せるかどうかについては

その都度議論をする必要があるのではないでしょうか。

セイバーメトリクスはあくまで語る上で必要な1つの考えであって、

それが絶対正義ではない、という事です。

 

人によって考え方は千差万別。

だからこそ、生身の人間が生み出す答えが面白いのではないでしょうか