究め道

色々感じた事を書くブログです

故人を偲ぶ事が出来るか

ニュースでも取り上げられていますが、

昨今の新型コロナウイルスの対策により

病院に入院した患者のお見舞いが出来ず

場合によっては看取る瞬間に立ち会えない、なんて話があります。

病院側にしてみれば、保菌者が建物内を歩く事が

患者を含む院内感染を広げる可能性がある懸念から

やむを得ない措置である事は、当事者でなければ理解出来ます。

しかし、身内などの家族がそうなってしまった場合、

精神的に受け入れがたい側面も出て来てしまうのではないでしょうか。

 

実は、つい最近ではありますが、

母方の祖母(既に他界)のお姉さんが102歳の生涯を終えました。

新型コロナウイルスに感染した訳ではなく、

肺に水が溜まって呼吸が困難になった事から来る衰弱によって

亡くなってしまったのですが、

葬儀も親族のみで済ませる簡素な形にしました。

 

そのおばあちゃんは、当時では珍しい働く女性で

大学の教授として70歳を超えても教壇に立っていました。

100歳を超えた際に、国から表彰状を貰った時も

「私は様々な人とメールでコミュニケーションをとっている。

それが生きる活力になっている」と言っていました。

帰国子女だったおばあちゃんは、世界中の人たちと

最近までメールでコミュニケーションをとったりするのが好きで

想像するに沢山の生徒や友人が居たんだと思います。

しかし、このコロナ禍によってその友人に見送られる事もなく

本人の意思かどうかはわかりませんがひっそりと生涯を閉じました。

 

勿論、今生きている人たちの事を考えると

ウイルスの脅威や対策をするならば致し方ない事かもしれません。

しかし、自分の祖父母が亡くなった時にも感じましたが、

「お別れの時間」というのも残された人たちにとって必要な時間

なのではないかと思うのです。

故人に対して偲ぶ時間が持てない事は、

その後の生活にも決して良い影響を残す事はないのではないか、と。

じゃあ何をすれば良いのか?と言われると

自分自身も答えはわかりません。

日々死と向かい合っている病院や斎場の方々も

もしかしたら同じような気持ちで働いているのではないかな、とも思いました。

元々正解がない問題ではありますが、

残された人たちが少しでも後ろ髪を引かれないで生活が出来る様にするには

どうやって「お別れの時間」を作り、過ごせば良いのか。

現代特有の問題なのかな、と思いました。

 

別れが辛いのは誰もが同じ事。

しかし、いつか別れは来るもので。

だからこそ後悔しない生き方をしなければならないと再認識しつつ、

上記の様な問題を解決出来る方法があれば

もっといろんな人が発信してもらいたいものです