究め道

色々感じた事を書くブログです

欲望のコントロールは難しい

昨今世間の関心を寄せているのは、著名人の性加害報道でしょうか。

個人的には政治家の裏金問題の方に関心を寄せるべき事柄だと思っていますが

(著名人の話は殆どの国民に関係のない話ですが、

政治家の話は遠因的に税金等が絡んで来ると思っているので

大多数の国民が関係する話だと思うんですが…)

何度も政治の話をするとうんざりする気持ちにもなるので

今回は前者の方について考えたいと思います。

 

少し前にダウンタウン松本人志氏が、最近ではサッカー日本代表の伊東純也氏が

性加害を受けたという被害者の訴えによって対応を迫られていますね。

現状考え得る事として、現在の日本を含めた世界の風潮を考えれば

結論が出る迄は今迄通りの活動はほぼ不可能でしょう。

仮に冤罪である事が証明されたとしても

特にスポーツ選手の様な職業だと肉体的な変化は必ずある訳ですし

実践を離れると感性が鈍る側面もあると思うので

元通りになるとは考えづらいですね。

また、両者共に言える事ですが、事実が異なると反論している点。

暫くの間は経緯を見守るほかないと思いますが、

全くの脚色なのか、幾らかが事実なのかによっても

その後の結果が異なるであろうとは思いますね。

 

そもそもの話ですが、人間には三大欲求がありますよね。

食欲・性欲・睡眠欲というもの。

食欲と睡眠欲は字のままですが、性欲というのは答えこそ単純ですが

そこに至るプロセスは様々です。

身嗜みを整えること、メイクをすること、会話の引き出し…etc

自身がイメージする「"相手"に振り向いてもらう為の行動」は

広域で考えると性欲に該当するんですよね。

なので、個人差こそありますが性欲というのは

人間という動物には必ず備わっているものなんです。

これは抗いようのない事実で、あとはそういった欲求に対して

どう付き合っていくか、だと個人的には思っています。

例えばですが、節制をしなければいけない人であれば

食事を目一杯食べてはいけないので、欲求を満たし過ぎない様にしますよね。

己の自制心だったり、犯罪を犯してはならないという理性だったり

倫理観と照らし合わせて常に対応している、という事だと思います。

 

色々な人が色々な意見を述べていますし

どれもその人の価値観に応じて発言しているので

100%不正解なものというのはないと思います。

ただ、その中でなるほどと思えるものだったり

共感出来る事も幾つかありますし

そういう情報が得やすくなったのはSNSの発達なくして語れないと思います。

自身の価値観をどれだけ多くの人が共有出来ているかを知る事が出来るのは

やはり現代ならではだな、と。

そういう意味でも世間の状況を常に把握しているかどうかは重要な要素ですよね。

 

女遊びは芸の肥やし、と昔は言われていましたが

それをはき違えて解釈している人は結構多いと思いますね。

亡くなった志村けんさんの話を松本氏との対比で記事を見ますが、

一例を挙げるとすれば相手に対して提供している金額の違い

というのはあるでしょう。

相手に有無を言わせないレベルの金額を払う事で納得してもらう

というのは1つの方法かもしれませんが、

金銭の話になると余計に下世話になりますし

大衆的には分かりやすくウケが良いので記事にされているのかな、と。

また、素人ではなくプロと遊ぶ、というのを目にしますが

最初からその世界に飛び込んでそういうものだ、というのを

理解していれば納得をしたかもしれませんが、

成り上がる迄は大衆的な環境下で生活していた人間が

最初から遊ぶ相手にプロを選ぶ、という行為はかなり異様にも映るかな、と。

正論ではあるのですが、実際にはそうはならないという事でしょう。

一般人で例えるなら、結婚する迄の間は風俗店でしか事を済ませない、

それが例え交際中・婚約中であったとしても、と言われたら

なんだコイツ?って感じですよね。

 

性欲に個人差があるのを少し触れましたが、

上記の方達を含め欲求が強い人はなかなか大変だと同時に思います。

欲求を抑える術が分からないと、最悪法に触れる訳ですし

そうならない為に彼らなりの方法を取っていたんでしょうが

それが適切な方法ではなかった、というのが今回の問題なんでしょう。

察するにですが、訴えられているのは数名程度なのかもしれませんが

そこに至る迄の相手にして来た人数で言えば同程度ではないでしょう。

少し前にヒヤリハットの話をしましたが、理論的には一緒かと。

もしかすると何百・何千という人達に会って来たのだとしたら

その中の1人、しかもここ最近の話ではない事柄だとしたら

当人たちが「それは知らない」と思うのもある種では当たり前ですしね。

街中で警察が犯人のポスターを貼っていても

先日亡くなった桐島聡氏を見つけられなかったのは似た話かと。

仮の話ですが、「△年前に○○という場所で会話した人物の事を覚えていますか?」

と言われたら、よっぽどインパクトがないと覚えていないでしょうし。

被害に合った側からするとたまったもんじゃない話ですが、

彼らにとっては大衆の中の1人でしかない、という事ですよね。

 

非常に稀なケースとして紹介するならば、

欲望のコントロールをしっかりとしている代表格は大谷翔平でしょう。

(あくまで現時点での見解です)

彼の掲げている目標の為に全ての欲求を自身でコントロールしている様に映る姿は

賞賛を受け続けるには充分な理由でしょう。

ただ、爆笑問題太田光が言う様に「人間は誰しもが完璧じゃない」というもの。

誰もが大谷の様にはなれないでしょうし、

大谷ですら別の角度から見れば完璧ではないのかもしれません。

それだけ簡単な話ではないと個人的には思っています。

欲望がなくなるという事は、同時に活力を失うという事でもあるので。

 

加害者・被害者という話ではなく

人間という動物特有のややこしさの様に思いますね