究め道

色々感じた事を書くブログです

アマとプロの違い

高校野球の甲子園予選となる地方大会、神奈川県の決勝戦

プレーに対する審判の判定が物議を醸している様ですね。

自分はその映像を見てはいませんが、複数の記事の文面を見る限り

ランナー1塁で内野ゴロの打球を放ち、守備側がダブルプレイを狙ったが

2塁のフォースアウトが完成せず、結果オールセーフになった、という話です。

それだけなら然程大きな問題ではなかったんでしょうが、

その直後に逆転となる3ランホームランが飛び出し逆転勝利で決着。

勝戦の為、勝利した高校が甲子園に出場する、という結末だったので

「あの時のプレイは…」という話になっている、という訳です。

因みに、2塁のフォースアウトが完成しなかったのは

「タイミングはアウトだったが、ベースを踏んでいなかった」

という判定だった様です。

それについて審判へ批判の目を向けている人が多数いるとの事ですが、

高校野球を含めてアマチュア野球にそれなりに携わって来た

自分の個人的見解を以下に載せたいと思います。

個人的な見解なので、ご了承ください。

 

自分がプレイヤーだった頃、特によく言われていたのは

「プロとアマは違うから気を付けろ」という事でした。

プロは職業としてお金を貰ってプレイをしています。

その為、メジャーほどではないもののある程度の不文律がある訳です。

例えば今回の様なベースを踏んだかどうかの話ですが、

ベース上の行動というのは基本的に接触する可能性がある危険な場所

という認識があり、怪我を回避するという観点から

「みなしアウト」というプレイがあるのです。

タイミングがアウトで、且つ明らかにベースから離れておらず

次のプレイへの移行の意思を見せている場合に限り

そのプレイはアウトとみなしている、という訳です。

勿論これはルールブックに記載されている訳ではなく、

いわば「プロだから許される阿吽の呼吸」というもの。

マチュアはそういう曖昧なプレイをするのは審判の目を誤魔化している

というプレイに映る可能性があるので、そういったプレイはしてはいけない

と、当時の自分は教えられました。

昔の話と言われればそれまでなのかもしれませんが、

子供の頃はプロ野球選手は憧れの対象であり

真似をするのは当たり前のこと。カッコ良く見えちゃうものです。

だからこそ、監督やコーチの様な指導者の立場の人は

そこは間違えない様に、と指導する訳です。

別の話で言うと、内野ゴロで明らかにアウトになりそうな時に全力疾走しないのも

プロならではの動きですよね。

マチュアで同じ事をしたら顰蹙を買うのは言うまでもないでしょう。

(全力疾走をすると怪我のリスクが高まるので、滅多にミスをしないプロだから

なんとなく許されている緩慢なプレイではありますが)

 

違った視点でもう1つ挙げると、アマチュア野球の審判は

ほぼ全ての人がボランティアです。

高校野球もそうですし、少年野球とかも同様です。

(社会人野球は不明です。ゴメンなさい)

審判をやっている理由で圧倒的に多いのが「野球が好きだから」というもの。

普段はサラリーマンや自営業などで自分の収入をしっかりと確保し、

余暇の中で取り組んでいるものなんです。

プロ野球の審判は、高報酬ではないもののそれで生計が立てられるくらいの

給与があるので、アマチュア審判のジャッジの正確性とかレベルの部分と

重ね合わせて考えるのは、少し違うのかなと個人的には考えています。

例えるなら、歌手レベルの腕前を持つ芸能人がテレビ番組でカラオケを歌うのって

上手かどうか、という視点とは別に彼らは歌で生計を立てている人ではないので

極論を言えば「趣味を極めている」というものですよね。

歌を生業としている人とは切り分けて論ずるのが正しいことかと思うのです。

 

話を戻しますが、アマチュアの審判は審判講習をしっかりと受けた人たちで

且つ「趣味を極めた人たち」があの場に立っている訳です。

そこには厳然とした基準がありますし、人間なので誤審する事もあるでしょうが

それが起きない様に常に自問自答している人たちなんですよね。

しかも、2時間以上日陰のない場所に立ち続けて

いつ自分の出番が回って来るかわからない緊張感の中で。

今回の判定によってプレイヤーの人生が…と言っている人もいますし

それ自体を否定するつもりはあまりありませんが、

マチュアとプロの違いをしっかりと認識する事と

そこに至る迄のプロセスをしっかりと理解しないまま

一部を切り取って批判するのはどうなのかな、と個人的には思います。

ただでさえ近年では審判の誤審問題が野球を含む様々なスポーツで叫ばれ

審判になりたいと思える環境下にはとてもなりづらい状況ですし、

プロはお金をかければ機械で判定出来るシステムが出来るかもしれませんが、

スポーツの大多数はアマチュア人口で形成されており

機械がどうとか言える様なものではないのも理解してもらいたいですね。

言い方は悪いかもしれませんが、彼らは「好き」の一念で

火中の栗を自らの意思で拾う行動をしているだけなので

それだけである種のリスペクトは必要じゃないかな、と。

だからこそ、審判に逆らってはいけない、という言葉もある訳で。

 

とある記事で、「審判の判定を批判するのではなく、直後の選手のホームランを

賞賛して欲しい」という文章を読みました。

本当に同意する気持ちですし、今回の話はある意味では

少しのミスも許されない寛容性のない世の中、という

今の世相を表しているのかな、とも思いました。

せめてスポーツという自らの技術を高め合って勝負する分野においては

世相とは切り離して楽しみたいものですね