究め道

色々感じた事を書くブログです

スポーツの立ち位置

去年東京でオリンピックがありました。

オリンピックはスポーツに疎い人でも色々な競技がある事を

知る機会になっていると思いますし、

競技に人生を賭けて戦っている人たちの懸命な姿は単純に胸が熱くなるので

4年に1度という頻度ではありますが、

その部分だけを切り取れば良いものだと思います。

しかし、組織委員会の不正疑惑等が連日報道される姿を見ると

スポーツを利用して悪巧みをしている人が数多くいる事は残念ですし、

これが嫌われる側面でもあるのは事実です。

今はSNSをはじめとして情報が昔よりも入手しやすく

拡散も容易になった時代。

負の側面が露骨に出る事で、オリンピックを含むスポーツ自体が

忌み嫌う存在になって欲しくないと切に願います。

 

自分は学生時代は野球に携わって来ましたが、

スポーツはしてきて良かったと今でも思っています。

体力面の向上もそうですが、鍛錬の重要性や団体競技を通じての

仲間意識の芽生えは社会人になった今でも役に立っています。

ただ、これは自分の心象の話で、全ての人が同様の気持ちに

なっているとは思っていません。

自分はそこまで優れた選手ではなかったので、

プロという凄まじい場所を目指すところに身を置かなかった事が

結果的に上記の心象になったのかな、とも思っています。

物凄く努力をしてもトップアスリートになれない挫折感は想像出来ないですし、

それが基でスポーツを嫌いになる人がいるのも承知しています。

競技をする上で勝ち負けというのは最もわかりやすい評価なので、

勝利を目指す事自体は否定するつもりはありません。

が、全てのスポーツに言える事として本質は何なのか?

という点が抜け落ちない様にして欲しい、というのが今回書きたかった事です。

 

押し付けるつもりはありませんが、自分が思うスポーツの本質は

心身が健康になること、正しい努力のアプローチ、周囲への感謝

この3つかな、と思っています。

心身の健康を保つ為に運動は重要な要素の1つだと思っていますし、

その部分に異論を唱える人はあまり多くないだろうと推測します。

ただ、他の2つに関しては様々な意見がある事を理解した上で

自身の経験を基に辿り着いた1つの答えなので、

それを踏まえて以後を読んでいただければと思います。

 

努力をすれば報われる、という日本人の美徳がありますが

これは間違っていない部分と理想論が混じった言葉だと思っています。

努力をした人は100%達成する訳ではありません。

競技で勝ち負けがある以上、敗者は必ず存在します。

しかし『敗北=努力が報われなかった』という事ではありません。

正確に言うなら、勝利へのプロセスとして正しい努力が足りなかった、

と言うべきかな、と。

昔の練習方法では、例えばですがうさぎ跳びが是だと信じられていました。

しかし、現代で同様の練習方法を行っている人は殆ど居ないですよね。

これは故障に繋がる事が頻繁に起きた事から練習方法が見直された為です。

しかし、怪我をしなかった人たちの中には成功を収めた人もいる訳で。

直接的な因果関係を証明する事は難しいですが、

練習方法として現代に残っていないという事は

正しい努力ではない、と思う人が増えたからでしょう。

人が千差万別である様に、練習方法もその人に合う・合わないは存在します。

だからこそ、画一的な答えがないので「自分に合った努力」が必要なのです。

しかし、それを当人が理解している事は非常に少なく、

結果として経験値がある指導者に委ねられる部分が大きく出てしまうのだと思います。

これが正しい努力であれば、体力・技術は間違いなく飛躍的に向上しますし

勝利に近付く事は間違いないでしょう。

そういう意味で、正しい努力のアプローチが成功への近道だと思いますし、

そこを如何にして掴むかを教えてくれるのがスポーツの良いところだと思います。

 

スポーツは、例え個人競技だったとしてもずっと1人ではありません。

指導者が居たり、ライバルが居たり。

また、競技に専念させてくれる両親をはじめとした

多くの人達のサポートがあってこそ成り立つものです。

プレイヤーだった頃の自分は、その部分に気付く事はありませんでしたが

自分が指導者側に回った時に、如何に多くの人間が

競技の運営に携わっているかというを実感しました。

プレイヤーが最高のパフォーマンスが出す為に日々鍛錬をする様に

周りの人はプレイヤーに最高の環境を提供しようとしている訳です。

普通に生活していても、スーパーで食品を買う時に

その食品1つにどれだけの人物が関わっているか、を想像すれば

同様の事だと理解出来るでしょう。

それを競技を通じて体感出来るというのは

社会への繋がりを疑似体験しているのと同様だと思うので

改めて「自分は生かされているのだ」と実感出来る瞬間だと考えています。

大袈裟な表現かもしれませんが、人間は経験を基に色々思考する生き物なので

こういう経験をする事はとても重要な事だと自分は思っています。

 

自分の考えるスポーツの本質は上記のものですが、

目先の勝敗に意識が行き過ぎて「本当のゴール」が見えなくなるのは本末転倒ですし

1番最初に書いた「競技を私腹を肥やす道具だと考える輩」は

スポーツの負の側面として色々な部分で蔓延っています。

だからといってスポーツを嫌いにはなって欲しくないですし、

これからも様々な競技が続いていって欲しい気持ちもあります。

以前書いたと思いますが、人間は己を律しないと簡単に堕落してしまいます。

そうならない為にもスポーツを通して色々な成功体験をして欲しいですし

スポーツの位置づけはそうであって欲しいと思います。

 

もっと細かく書きたい気持ちもありますが、長くなったのでこれにて。

長文失礼しました。