究め道

色々感じた事を書くブログです

価値観の違い

一週間ほど前のネットの記事だったと思いますが、

バカと言う人とは議論が出来ない、という様な記事を読んで

感じた事を今日は書いていこうと思います。

 

記事の内容を簡単にご紹介すると、

打ち合わせや会話などにおいて人間は様々な感情を抱くといいます。

共感したり、違和感を感じたり。

その中での発言で「バカだ」と言うと

そこから先は何も生まれないのだというのです。

 

自分なりに解釈をするならば、という前提で話をしますが

人間にはそれぞれ育ってきた環境があり、

それがその人の価値観のベースになっているのではないでしょうか。

兄弟姉妹になれば性格や価値観が似るのは

親を含めて関わっている人間が共通している事が多いからでしょう。

しかし、それでも全く同じになる事はありません。

友人や学校・仕事場の人間によって受ける影響が変わる事もまた事実で

だからこそ価値観は多岐にわたると言って良いと思います。

基本的に人間は同じ価値観を持つ者に共感・共鳴し

そうでない人間は避けていきがちだと思います。

なので、価値観が似た者を集めて群れを成し

そうでない者を批判する事でお互いの価値観が似ている事を

確認しあうのではないでしょうか。

その批判の仕方の極論が「バカ」という表現の仕方で

価値観が違う者同士は距離を縮める事は極めて難しい事なのだと思います。

人間の数だけ価値観は違いますし、それはほとんどの人が理解しています。

しかし、それでも“生理的に合わない”、“アイツとは分かり合えない”と

人間は口にしてしまうのです。

 

上記の様な決してプラスにならない発言は、周りの人間も不快に思う事でしょう。

それが巡り巡って自分に返ってくるのではないか、と僕は考えます。

例えば、Aという人が芳しくない発言をしたとします。

すると、それを聞いた周りの人間はマイナスの感情が沸く事でしょう。

(Aさんに共感しても、それは決してポジティブな結果を生む事はない、という意味)

マイナスの感情が沸いた人間は、それに捉われて疲弊したり

更に違う人間に吹聴するようになるでしょう。

それは全体的にパフォーマンスが低下する事を意味し、

好循環を生み出す事が出来なくなってしまう。

すると、その状況下に置かれたAさんはどう思うでしょうか?

恐らく負の感情が芽生え、更に辛くなってしまうのではないでしょうか。

 

人間はストレスを抱え過ぎないように適度に発散しなければ

身体や心に支障をきたしてしまうので

弱音や愚痴を言いたくなる時もあるでしょう。

しかし、感情のままにプラスにならない事を発したりする人が

最近の世の中では非常に多い気がします。

例えば、僕が好きなスポーツに絡めて話をすると、

B選手が怪我をしてしまったとします。

すると、「頑張れ!」と励ますような言葉を掛ける人達の中で

「アイツはもうダメだ」「引退だ」などと言う人もチラホラ出て来るのです。

しかも、B選手とは直接関係のない人達が、です。

親しい間柄の中だけで収めてくれる話なら構いませんが、

近頃ではインターネットを通じて人物を攻撃する様な発言がかなり散見されます。

それは果たして正しい事なのでしょうか?

それをする事で何が生まれるのでしょうか?

考えた事があるのか?と僕は問いたいですね。

 

例えとしてスポーツ選手の話をしましたが、

それは全てにおいて同じだと思います。

芸能人や著名人だけでなく、身近な人間関係についても同じ。

本人が見えないところで悪口を言ったり

足を引っ張り合っている。

この事柄自体が大変残念でなりません。

価値観が合わない事を公言しても仕方がないんですよ。

それよりも他人のふり見て我がふり直せではありませんが

自分自身の襟を正す方がよっぽど建設的だと思います。

 

勿論、全ての人間において聖人の様な人間は存在しません。

ウソを一度もつかないまま生涯を閉じる人間がどれだけいるかを考えれば

全てにおいて正しい人は存在しない、と言い切っても良いと思います。

だからこそ、他人の価値観を認めたり許容したり

時には注意したりする事が大事なのではないでしょうか。

近年では、世界中を見渡しても許容出来る範囲がどんどん狭まっている気がします。

「それくらいいいじゃない」という余裕を持てる様な

人間になりたいですし、そうあり続けたいものです