究め道

色々感じた事を書くブログです

自分の半生を簡単に

1980年、東京生まれ。三兄弟の長男。

親戚も全員東京の江戸っ子。

 

親には

「ヨソはヨソ、ウチはウチ」

「他人にやさしい人間になりなさい」

「大人の言う事をちゃんと聞きなさい」

と言われて育ちました。

 

幼少期は泣き虫。

他の子にからかわれると、反撃出来ずただメソメソする子。

そして人見知りもする子。

知らない人に出会うと親の後ろに隠れていました。

小学校低学年くらいまではそんな感じで

あまり友達も多くなかった様に思います。

その為か、親にべったり。特にパパっ子。

父親が日曜日に草野球をしに行くのを

観に行くのがきっかけで野球にドはまり。

幼稚園児の時には夕飯時以降は、プロ野球の放映時間が終わるまで

父親にくっつきながら毎日野球を観ていました。

 

人生の転機を迎えた瞬間の1つ目は

小学校三年生の時、50m走のタイムを計るという話になった時。

父親と毎朝かけっこの練習に勤しんで臨むと

クラスで一番のタイムをたたき出して、

それ以降クラスメイトは「メソメソするヤツ」から「出来るヤツ」へと

扱いが変わりました。

それ以降は友達も増えましたね。

一生懸命取り組む事の大切さもその時に学んだ気がします。

それとほぼ同時期に、少年野球チームに加入。

それまでは父親とキャッチボールをするくらいでしたが、

好きな事に熱中出来る場所が出来て

尚更野球に傾倒していきました。

 

好きなことに一生懸命だった自分は

弱い子から、いつの間にか強い子になっていました。

何かに熱中する事で周りの見る目が変わり、

周りの目を気にして過ごす事がなくなっていったのです。

 

しかし、物事は決して順調ではなく。

高校生の時、練習のし過ぎが原因で肘を疲労骨折。

自分の人生の大半を費やしてきた野球のプレイヤーとしての幕を

高校で閉じる事となります。

大学生の頃はつまらない日々。

友達と過ごす事は楽しいものの、目標が見つからず

ただ無駄に時間を浪費していた様な気がします。

その時に声を掛けられたのが、少年野球の監督から

コーチにならないか、という依頼。

最初は気が進まなかったものの、

監督はじめ野球をしている子供達を見る事で

自分の中にある情熱が復活。

社会人になるまで、コーチを続けました。

純粋に楽しむ気持ち、楽しい事を一生懸命やる事。

それこそが、自分を再確認させる時間になりました。

 

大学を出て、父親の会社に就職。

父方のお爺ちゃんが設立した不動産系の会社は

バブル崩壊と国の方策によって苦境に立たされていました。

何も知らない自分はただがむしゃらに働く日々。

大した役にも立たないまま、経営者の息子である特権で本社入り。

会社の立て直しを考える日が続きます。

それでも事態は良くならず。

26歳の時に結婚をしましたが、同時に倒産の危機に。

父親が世田谷の実家を売却して運転資金を捻出する事で

何とか倒産を回避しました。

そこまでして会社を守り、従業員を守り、家族の崩壊も守った父親を

今でも尊敬しています。

 

倒産は回避されたものの、企業として健全化された訳ではなく

ただひたすら必死に立て直しに立ち向かう毎日。

この頃の自分は、私生活のコントロールも思うようにいかないほどオーバーワークで

一日の睡眠時間は四時間程度だったと思います。

 

常に一生懸命何かに取り組む事で変わるはず。

自分の人生で常に実践してきた事でしたが、

その終わりを告げる時が来ます。

28歳の時に体調を崩し、様々な病院に通った結果

一年がかりで分かった結果はうつ病でした。

医者から強制的に休むよう告げられ、

一生懸命取り組む事が出来なくなった自分は

自分を責める毎日を過ごすようになります。

会社は緩やかながらも業績を回復していきましたが

その反面、自分の体調は良くならず。

自分が何をしてきたのか、何を成し得たのかがわからなくなり

ただ空虚な時間をベッドで過ごしました。

 

数年かけて精神状態は落ち着いたものの、

社会と接する時間が極端に少なかったので

職業復帰訓練施設に通う事に。

そこで同じ病から立ち直ろうとしている方々と

共に過ごす事になりました。

そこで初めて「自分だけが苦しんでいる訳ではない」と感じ

救われた気持ちになったのか、少しずつですが前向きな気持ちを

取り戻していけるようになりました。

 

それから暫くして、徐々に心が回復し

会社への復帰を果たした頃。

今度は妻が病に倒れました。

自分を看護し、戦ってきた妻がギブアップをしたのです。

35歳の時でした。

今度は自分が支える番、と思っていましたが

妻が選択したのは離婚という道でした。

病に倒れた自分を支えてくれた人物との別れは

自分にとって大きなターニングポイントだったと思います。

 

その後、実家で生活をしながら様々な人物と出会い・再会をしました。

小学校の頃の旧友と食事をするようになったり

その友人を介して新たな友人が出来たり。

結婚をしていた頃とは違う、第二のスタートという形容の仕方が

相応しいほどに変化していきました。

 

そして、昨年。

現在の新しい妻と出会いました。

最初は友人として交流していましたが、

お互いに心地よい時間を過ごせているとは思っていました。

しかし、自分の中では完治していない病気の事や

会社が決して順風満帆ではない事を話していなかった為、

お付き合いをする、という感情にはなれませんでした。

去年の年末に妻から切り出された言葉をきっかけに

自分の事を一日かけて話し続けました。

ふざけたり、自分を大きく見せたりしない様なるべく客観的に、

そして「こんな自分と付き合いたいと思わないで欲しい」という

気持ちを伝えました。

 

それから数か月後の春。

妻から連絡があり、再びお茶をする事に。

そこで再び妻から想いを告げられて

逃げる事を辞めて交際する事にしました。

2019年10月に再婚。

スピード結婚かもしれませんが

今の自分の気持ちを一番良く理解してくれている人なので

決断に時間は要らなかったです。

 

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが

自分の半生を簡単に紹介してみました。

書きたいことが書けているのか、不安ではありますが…