究め道

色々感じた事を書くブログです

頑張れ、補助犬

昨日の夜の話です。

帰宅が22時半頃になったんですが、乗換え後の電車に乗って

タイミング良く座る事が出来たんですが、

その2つ後の駅に停車した際、補助犬を連れた男性が

電車に乗って来ました。

自分が下車する迄10駅くらいはあるんですが、

その方は途中下車する事無く乗り続けていました。

 

補助犬をリアルに見る機会は今迄でも数える程。

ましてや、同じ空間に居続けたのは今回が初めてでした。

犬種はイエローのラブラドールで、どのタイプの補助犬だったのかは

外見からは判別が出来ませんでした。

しかし、緊張感をなくさずに仕事をしていた姿をリアルで拝見するのは

なかなかなかったので、あまり凝視をしない様に気を付けていましたが

とても気になってしまいました。

周囲の方々も同様で、寧ろ1番堂々として落ち着いていたのが

その男性と補助犬だったかもしれません。

周囲の人(自分も含め)は、好奇の目というよりは、

邪魔をしない様に気を付けたいから彼らを気にしている

という表現が最も適切だったかもしれませんね。

尚、手伝いが必要かどうか声掛けを悩みましたが、

邪魔をしては申し訳ないのでそのまま下車しました。

 

自分の周囲に障碍者にカテゴライズされる方はいませんが、

既に逝去されている妻の叔父は軽度の知的障害だったらしく

生活の部分で義理のお義母さんがサポートして成立していました。

障害を持っていても我々と同じ様に日々を過ごしているのには

自分が想像出来ない様な苦慮の上で成り立っているんだろう

と思うと同時に、補助犬の様な適切なサポートを受ける事で

同様の生活が得られるのだとしたら

やはりそれは有意義なことだろうと思います。

 

自分の母はこういった補助犬の取り組みにかなり関心があります。

補助犬の幼少期を預かるパピーウォーカーという方々がいますが

口には出していないものの、母はその気持ちがあったのではないか

と勝手に思っています。

事実、現在ある実家のカレンダーは補助犬協会が作成したもので

売上の一部が活動費になるものを購入しているので。

ただ、実際にそういう活動を行うというのは容易ではない訳で。

意気込みだけではなく、知識や体力・周囲の理解があってこそだと思うので

母は口に出さないんだと思っています。

無責任な事は出来ないですしね。

 

自分も個人的には関心はあります。

若い頃ですが、知り合いにパピーウォーカーをしていたのでは?

と会話の感じから想像する人物が居たので

今にしてみればもっと突っ込んで話を聞いておきたかったな

と思っています。

(その人とはもう疎遠になったので連絡を取る事も出来ないですが)

そこから自分が取り組める事があるのか、

或いはどういう援助の仕方があるのか等を知れたら

もっと身近な存在として感じる事になっていた事でしょう。

今からでも遅くはないのかもしれませんが、

生き物である以上無責任な事は出来ないので

自分の出来る範囲を考えると、寄付が妥当なところなのかもしれません。

 

補助犬の仕事の凄さを語るのは自分の語彙力では難しいですが、

犬だけでなくそれに関わる多くの人達によって

成り立っている部分がある事を考えると

近年のペットブームとは線引きをした上で考えさせられるものだと思います。

空港での検閲で活躍する犬もそうですが、

彼らが少しでも活躍出来る環境を少しずつでも整えていく事が

今の言葉で言う『多様化』に繋がるのかな、と。

出来る事を少しずつ。

昨日の経験を記憶に残し、積み重ねをしていきたいと思います。

 

頑張れ、補助犬