究め道

色々感じた事を書くブログです

悲しい話だと感じたこと

千葉県で小学一年生の女子生徒が行方不明になっている

というニュースを目にする事が増えています。

概要を話すと、遊びに自宅を出発した子が

いつもの公園で遊んだ後、別のところに移動している形跡が

防犯カメラ等に映っていること、

その後河川敷に靴がある事が現時点で確認されています。

靴が河川敷にあるのは現時点で断定する事は難しいですが、

誘拐等も視野に入れた捜査が行われている、との事です。

 

自分が観たのはニュースだけなので、それ以外の情報は知らないのですが

こういうニュースを観るとネットのコメントで出るのが

「〇〇が悪い」と犯人捜しをする風習です。

誰かを悪者にする事で平静を保とうとしているのか

何故そういう考えになるのかはわかりませんが

同じ様なニュースが流れるたびに思うのが

「自分がその場に居合わせたらどうするだろうか?」という事です。

近年の風潮的に、助けようと声掛けをしたら逆に不審者に見られた

という話も聞くので、声掛けを躊躇ってしまう、という言葉を目にします。

確かに、善意で行動を起こしたのにも拘らず

それが悪者扱いされてしまうのは傷付くものです。

しかし、それでも自分が同じ場所に居て

子供だけでなく困っている人間が居たら

なるべく助けられる様なメンタル・精神状態で居ようとは思います。

要は、そういう世間に対する疑心暗鬼の精神状態になっているから

ナチュラルな行動が起こせないのではないか?と

個人的には思っているからです。

 

自分が正しい事をしようとしても、相手にとって迷惑になる事はあるでしょう。

だからこそ過度に干渉するのは避ける風潮はありますが

過干渉にならない程度に関係性を構築する事は

寧ろ必要な事なのでは?というのは最近感じます。

人間が生活する上で他人と全く関わらずに過ごす事は

現在の世の中を考えるとまず不可能だと思って良いと思います。

仕事で仲間とコミュニケーションを取ること、

スーパーで食材を買うこと、趣味の時間を過ごすことなど。

道具を使用するという事は多くの人間が携わった商品を使用しているのと同義なので、

そう考えると、完全に1人で生活するのは難しいでしょう。

だからこそ、生きる上で最低限の人間関係の構築及び関係の維持は必要なこと。

そこを間違えてはいけないのかな、と思います。

 

人が誰かの役に立って生きているのが当たり前な現代において

広義で考えるなら『声掛け』というのも直接的な意味合いですが

人と関わる一種だと思います。

自分の価値観を押し付けるのは過干渉だと思いますが

(例えば、一時流行ったマスク警察などはその例に当たるでしょう)

困っている人がいたら助けましょう、というのは

子供の頃に学校で教えられたりしているもので

意味をはき違えずに実践する分には構わないどころか

ちゃんと行動する方が良い、と個人的には考えています。

勿論これは自分の考えなので、これを強要するつもりはないですし

多様な意見があるのは承知の上で書いているつもりです。

ただ、今回の行方不明の事件は「誰かが気付いて声を掛けていれば

防げた事件なのでは?」と単純に思うのです。

 

勝手に遊び回った子供が悪い、ちゃんと見ていなかった親が悪い

という短絡的な結論を導くのは危険かな、と思っています。

子供はそもそも世の中のルールを完全には理解していないですし、

遊び回りたい年齢なのに無理やり家の中で過ごせ、というのも暴論かと。

親の世代も、共働きの世帯が増えて子供にエネルギーを注げる時間が

減る家庭が増える中で子供の管理を完璧にしろ、というのも

当事者だけでなく現在の家庭環境の姿を理解しているとは言い難いものです。

では誰が守るべきなのか?という問いに対しては

上記で書いた様に「困っている人がいたら声掛けしよう」というのが

ベターな結論になるのではないか、と思うのです。

不審者のくだりがあるのは承知していますが、

自分が間違ったり傷付いたりするのを恐れるのではなく

将来の日本の中心になる子供・若者を

我々年配者が協力して守っていく事の方が大切なんじゃないかな、と。

中には本当の不審者がいますが、それは日本全国民の1%以下の話。

逆に言えば殆どの人がまっとうな人間であるのが日本人という

良い国民性だと思うので、そういう不審者から守るのが

まっとうな大人として求められる事なのかなぁと感じます。

 

偽善と言われても、自分はこの考えを曲げるつもりは

現時点ではありません。

世界を救う、なんて大きな事は言うつもりはありません。

せめて半径10メートルの人たちを不幸にさせない様に。

その為に出来る事をする。また、そのメンタルを保つ。

精神状態によってやったりやらなかったりするのではなく、

常にフラットに考える。

簡単なようで難しい話だと思っていますが

その為に1日1日を無理なく、また後悔なく過ごそうと思います